浅井健一 Special Interview -後編-

1月 18, 2022


自分にとっても自分の音楽を聴いてくれるみんなにとっても、グレッチはいろいろなものをもたらしてくれた

 

日本のロック史を揺るがした3ピースバンド“BLANKEY JET CITY”のヴォーカル&ギターとして91年にデビュー。以降、SHERBETS、AJICO、JUDE、PONTIACSといったバンドからソロ名義、さらには画家として才能の片鱗も見せるなど、常に刺激的な活動でファンを虜にし続ける浅井健一。高校時代からグレッチを愛用し、Tennesseanがトレードマークの彼にスペシャルインタビューを敢行。インタビュー後編では、2020年11月に発売された2本のシグネイチャーモデルについて、グレッチギターの魅力、そしてプレイヤーに向けてのアドバイスをいただいた。

 

一生懸命やるしかないと思う。そういう世界に行きたいんだったら

 

― 2020年に2本のシグネイチャーモデル(G6119T-65KA Kenichi Asai Signature Tennessee RoseとG6119T-65KA Kenichi Asai Signature Black Cat)が発売されました。2本を作ることになった経緯は?

浅井健一(以下:浅井) ひとつ(Tennessee Rose)は思いっきりオリジナルとそっくりにして、もうひとつ(Black Cat)は自分の好みを反映させて、色もfホールも変えて、、、、。それだけか。

 

― ロゴも微妙に違いますよね。あとは指板に猫のインレイが。

浅井 そうそう。で、ちょっと価格も安いという。買いやすいように。確か木材が違うと思うよ。

 

― そこでちょっとリーズナブルにしているんですね。では、Tennessee Roseはメインで使用しているTennesseanにできるだけ近づけるというコンセプトだったと。

浅井 そう。ボリュームノブ(オリジナルのコンチョコントロール)が違うだけ。

 

― グレッチのシグネイチャーモデルを作るというのは、浅井さんの中でどんなモチベーションでしたか?

浅井 嬉しかったかな。

 

― やり取りは大変でしたか?

浅井 工場見学に行ったりとか、広告の写真を撮ったりとか、それなりにまぁまぁ大変だった。

 

― 工場見学に行っていかがでしたか?

浅井 みんな一生懸命に作っとって、大事に使わなくちゃと思いますよ。“ここをこういう風にして”とか“ここのカーブを”とか、言うのは簡単だけどやるのはめちゃくちゃ大変なんだなっていうのがわかったかな。ギターって最近売れてます?

 

― コロナ禍ではお家時間が増えたということもあって、新しい趣味として楽器を始める方が増えているようです。

浅井 だからコンピューターミュージックをやる人も増えているんだろうし、ギターを弾く人も増えているから、どのような未来になるのか楽しみというか。楽しみでもないか。

 

― あははは!

浅井 この先の音楽のことを考えるなんてことは、した事ないな(笑)。

 

― だって浅井さんはそっちに行かないでしょう(笑)?

浅井 カッコいい音楽を自分が作りたいなって思ってるだけかな。

 

Kenichi Asai D

 

― そもそもギターを始めたきっかけは何ですか?

浅井 小学校4年生の時、家に初めてステレオが来て。親父さんが音楽好きだったんで。10枚組くらいのレコードセットがあって、その中にショッキング・ブルー(オランダ出身のロックバンド)の「ヴィーナス」と「悲しき鉄道員」っていう曲があって。4人編成のバンドじゃん。めちゃくちゃカッコいいなと思って。こういう風になりたいなって、そこから始まったね。

 

― すぐにギターを手に?

浅井 いや、家にギターがなくて。中1のお年玉で初めて某メーカーの1万3千円くらいのフォークギターを買った。そしたら世の中フォークソングが流行っとって、なりたいなと思ったのはショッキング・ブルーみたいなバンドのはずだったんだけど、実際のギターの弾きはじめはフォークソングから入ったね。姉が洋楽ばっか聴いていたから、ずっと洋楽を聴いとって。中学に入ったらかぐや姫とかさ、「神田川」。そこでアルペジオとかを学んでさ。

 

― 「神田川」をコピーしていたんですか?

浅井 もちろん。日本のフォークソングは大事だよ。

 

― 練習は譜面を買って?

浅井 独学。

 

― じゃあ、ブライン・セッツァーに出会うまではわりとアコースティックだった?

浅井 いや。中2ぐらいからエレキになってきてたよ。友達がエレキギターを買いはじめてたし。もういろんなことをやってるんで。ストレイ・キャッツはもちろん好きなんだけど、他にも好きなバンドはいっぱいいるから。

 

― 曲作りは今も変わらずギターですか?

浅井 うん。ギターで作ってるかな。

 

― パソコンを使ったりとかは?

浅井 パソコンも使っているよ。

 

― 直近の活動で言うとAJICOの再始動が話題になりましたが、今後はどんな展開を予定していますか?

浅井 SHERBETSのレコーディングが今月(2021年11月)に決まっていて、あとはコロナ中にアコースティックというかお客さんが座って観るスタイルのライヴを展開していて(浅井健一& THE INTERCHANGE KILLS)、そのライヴCDが2022年に出ますかね。あとは2022年4月くらいに個展をやるんで、その画を描いてますね。

 

― 浅井さんの中でバンドの棲み分けはあるのでしょうか?

浅井 そうだね。SHERBETSはいつも特別な世界観になるんで、何年かおきにやるっていう感じで、キルズのほうが常に活動している感じかな。まぁ行き当たりばったりでやってるんで、棲み分けとかそんなに説明できない。

 

― その時の衝動で?

浅井 次は何やろうか?みたいな感じで。

 

― なるほど。普段、ギターはどのくらいの頻度で弾いてらっしゃるんですか?

浅井 もちろん日によって違うけど。平均して30分?(笑)

 

― 家にギターはあるんですか?

浅井 もちろんあるよ。

 

― それは作曲用のギター?

浅井 部屋にはいろいろなギターがあって、画を描いとる時はギターには触れないし、レコーディング中は部屋でもダビングするんで毎日触るしさ。時期によりますね。

 

― ちなみに64年製のTennesseanはどこに?

浅井 今日は部屋にあった。

 

― じゃあ本当に日常的に触っている感じですね。

浅井 うん。日常的に。

 

― コロナ禍でギターを始める人が増えましたが、ビギナーにメッセージやアドバイスはありますか?

浅井 うーん…まぁこれと言ってはないんだけど(笑)。言わないとね。鮎川さんだったらここで言うからね。

 

― そうですね。

浅井 何だろうねぇ。ギターを弾こうと思ったってことは、メロディとかコードを鳴らして“その世界”に行きたいと思っとるわけでしょ。だから、その世界に行けるまで頑張って、日々訓練して、頑張ってそこに行けるといいですね。そしてある程度弾けるようになったら、誰かと一緒に一つの音楽を鳴らすのが大事だと思う。1から2になると反応し合うからさ、そこで何かが生まれるのか、何も起こらないのか。後は運だわ。ということかな。一生懸命やるしかないと思う。そういう世界に行きたいんだったら、一生懸命やるしかないと思うんで。何でもそうなんだけど、一生懸命頑張ってそこに行ってください。

 

― 浅井さんにとって、グレッチの魅力とはどんなところでしょうか?

浅井 偶然出会って、本当に自分にとっても自分の音楽を聴いてくれるみんなにとっても、いろいろなものをもたらしてくれたから、本当に出会えて良かったなぁっていう気持ちかな。

 

― グレッチじゃなかったらできなかった曲もありますか?

浅井 どうなんだろうね。わからんよ。

 

― 楽器に呼ばれる時はありますか?

浅井 別にない。そういう神秘めいたことを言うの、俺ダメなんだわ。“降りてきた”みたいなさ(笑)。

 

― 音が好きってことに尽きるんでしょうね。

浅井 うん。そうなんかな?

 

前編はこちら

 


浅井健一

64年生まれ。愛知県出身。91年、BLANKEY JET CITYのヴォーカル&ギターとして、シングル「不良少年のうた」とアルバム『Red Guitar and the Truth』でメジャーデビューを果たす。2000年の解散後、自主レーベル『SEXY STONES RECORDS』を拠点にバンドSHERBETS、AJICO、JUDE、PONTIACSやソロ名義で活動。音楽だけでなく詩や絵画の才能も注目を浴びており、独特なセンスで描かれた作品集を発表し個展も行う。現在は、浅井健一& THE INTERCHANGE KILLSとして活動中。2021年4月、浅井健一とUAが中心となって結成したバンド“AJICO”が20年ぶりに再始動を果たす。

https://www.sexystones.com