浅井健一 Special Interview -前編-

12月 30, 2021


結局、どれもこのTennesseanを超えられない

 

日本のロック史を揺るがした3ピースバンド“BLANKEY JET CITY”のヴォーカル&ギターとして91年にデビュー。以降、SHERBETS、AJICO、JUDE、PONTIACSといったバンドからソロ名義、さらには画家として才能の片鱗も見せるなど、常に刺激的な活動でファンを虜にし続ける浅井健一。Tennesseanがトレードマークの彼にスペシャルインタビューを敢行。インタビュー前編では、グレッチとの出会い、そして数十年にも及び愛用し続けTennesseanの魅力を中心に話を聞いた。

 

ジャキッて感じの音で、メロウなフレーズでもすごくキレイな音が出る

 

― まずはグレッチとの出会いから教えてください。

浅井健一(以下:浅井) 高校の時にストレイ・キャッツが出てきて、大好きで。ブライアン(セッツァー)がグレッチを使っていたでしょ? その時はまだそこまでギターに関する知識もなくて、自分はソリッドギターを使っていたんだけど。20ぐらいの時かな、サイコビリーではないけど照ちゃんがウッドベースで俺がギターボーカルの3人編成のバンドを始めたんだよね。その時にメンバーだった子がギターに関するいろいろな知識があって、“やっぱりグレッチじゃないとダメだよ”なんて言ってまして。でもその頃、グレッチなんてギターはまだ名古屋には出回っていなくてさ。でも、いつも通っていたリハスタはギター屋さんでもあって、そこのスタッフの方が親切にもグレッチを輸入してくれるって言ってくれて。それでWhite Falconを買ったんだよね。すごく高くて40数万円もしました。その頃の自分にとっても大金です。でも写真だけ見て買ったからさ、実際に来たらとんでもない代物がやってきまして。

 

― どういうことですか?

浅井 ボロボロだったんだわ。金のラメの縁取りはついているわボディーの裏側にはなんだか座布団みたいなのが張り付いてるし。ブリッジのところには意味不明なゴムパッドが付いていて、しかも干からびててさ。本物だから、そのくらいの値段はするんだけど、これが40何万?ショックでさ。せっかく買ったんだから頑張ってライヴで使っていたんだけど、ものすごく弾きにくいんだわね。しかも、ギターのことを全然わかっていないから“何だこの音?”みたいな。良かったのかもしれないけど、その時の自分としては“うわ、失敗した”っていう想いだったかな。だから、グレッチとの出会いは超苦い思い出だね(笑)。それが1987年か1988年。

 

― そのあとのグレッチの旅はいかがでしたか?

浅井 それで90年に東京に出てきて、渋谷のファイヤー通りの消防署の隣に、昔結構デカいギター屋さんがありまして。そこでWhite Falconを売って、別のギターを買ったんだよね。そのあとはイカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)に出ることになり、東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)とメジャー契約して、契約の時にまとまったお金をいただきまして、ディレクターに“本物のギターを買ったほうがいいからこれで楽器を揃えて”って言われて、それでギターを買いに行き。偶然このTennesseanに出会いました。このTennesseanはすごく良くて、35年くらい経ちましたが、これを超えるギターにまだ出会っていません。

 

― White FalconではなくTennesseanにした理由は?

浅井 西荻窪の中古ギター屋さんで買ったんだけど、単純にそのお店にあるギターの中で一番気に入ったからです。そもそもグレッチにしようと決めていたわけでもなく、たまたま出会った。ただ、基本的にボディがデカいギターのほうが好きっていうのはあるね。デカいほうが自分に似合うなと昔から思っとったかな。

 

― 鳴りが良かったというよりも、デザイン的な部分が気に入ったと。

浅井 うん。もちろん音も気に入ったんだけど、何か好きだなぁ、この形。中、空洞でさ。

 

Kenichi Asai B

 

― 今でも使用しているということは、そのTennesseanは運命のギターと巡り会えた感覚ですか?

浅井 そこまでは全然思ってなくて。もちろん大好きなんだけど、やっぱりオールドギターはハイコード(バレーコード)が弾きづらいんだわ、すごく。だから、今(現行)のギターも含めてTennessean以外のギターもライヴではいろいろと使ってきたけど、結局、どれもこのTennesseanを超えられていないかな。

 

― 言葉にすると、何が素晴らしいのでしょうか?

浅井 単純に音が好きかな。さっきデザインが好きって言ったばかりだけど(笑)。

 

― その音を具体的に言うと。

浅井 ジャキッて感じかな、メロウなフレーズでもすごくキレイな音が出るんだよね。それに軽いんだよね。

 

― ヴィンテージのほうが軽いんですか?

浅井 すごく軽い。木材も鉄も、当時のものがもうないんだよね。再現できない。ピックアップの素材とかボリュームのツマミとか配線一本から違うって、土屋昌巳さんが言っていましたね。

 

― 何年製ですか?

浅井 64年。56歳。

 

― 浅井さんと同い年ですが、それを狙って買ったわけではなく?

浅井 全然狙っていない。狙いたくない(笑) 。

 

― (笑)。ハウリングは気にならないですか?

浅井 ハウリングは全然気にしなくていい。Fホールが空いているとハウりやすいんだろうけど、このTennesseanは気にならないけどね。

 

― 改良などは?

浅井 いじってないよ。スイッチのノブがどこかにいっちゃったくらい。あ、糸巻きが堅くなっちゃったんでペグだけ替えているわ。

 

― いい味が出ていますよね。

浅井 もうだいぶおじいさんだね。でも俺と同じ歳か(笑)。

 

― このTennesseanと出会った後は?

浅井 そのあと、同じTennesseanのナチュラルカラーも買った。あと、ロスアンゼルスでDuo Jetっていのを買った。でも結局、2つとも全然使わないから何年か前に手放したんだわ。

 

― ギターをたくさん所有するタイプではない?

浅井 嫌なんだわ。気付くとどんどん増えて、部屋が荷物だらけになっちゃったから、どうにかしようと思って一斉にギターを売ったんだよね。だけど、シグネイチャーモデル(G6119T-65KA Kenichi Asai Signature Black Cat with Bigsby®とG6119T-65KA Kenichi Asai Signature Tennessee Rose™ with Bigsby® Lacquer)を作るにあたって、また荷物がどんどん増えちゃって。

 

― 基本的には、普段使うギターだけを置いておく?

浅井 そうだね。気に入っているギターだけを置いて、あとはなるべくシンプルにしたいなと思う。

 

― そのあと、最初のリベンジでWhite Falconを買おうとは思わなかったんですか?

浅井 シグネイチャーモデルが出る時に、自由にモデルを選んでいいという話だったからWhite Falconのボディも考えたんだけど、やめましたね。

 

― ちなみに、ブライアン・セッツァー好きとしてNashvilleは買わなかったのですか?

浅井 そう、本当はNashvilleがいいなと思ったんだけど、ギター屋さんに見に行った時になかったんだよね。でも、結果的にTennesseanで良かったと思う。もしもNashvilleだったら、Fホールが空いているからそれこそハウると思うんだよね。というのも、自分がやってたサウンドはけっこう音が歪んだりするから。ロカビリーではないので、Tennesseanで丁度いい。

 

後編に続く

 


浅井健一

64年生まれ。愛知県出身。91年、BLANKEY JET CITYのヴォーカル&ギターとして、シングル「不良少年のうた」とアルバム『Red Guitar and the Truth』でメジャーデビューを果たす。2000年の解散後、自主レーベル『SEXY STONES RECORDS』を拠点にバンドSHERBETS、AJICO、JUDE、PONTIACSやソロ名義で活動。音楽だけでなく詩や絵画の才能も注目を浴びており、独特なセンスで描かれた作品集を発表し個展も行う。現在は、浅井健一& THE INTERCHANGE KILLSとして活動中。2021年4月、浅井健一とUAが中心となって結成したバンド“AJICO”が20年ぶりに再始動を果たす。

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