
曽我部恵一 SPECIAL INTERVIEW -前編-
3月 12, 2025
White Falconは、何本あってもいい(笑)
1990年代からサニーデイ・サービスのヴォーカル&ギターとして活動を開始し、2001年からはソロ活動と並行してプロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける曽我部恵一がスペシャルインタビューに登場。前編では、ずっと憧れの存在であるグレッチ愛について語ってもらった。
─ まずは音楽に目覚めたきっかけと、ギターを始めたきっかけから聞かせてください。
曽我部恵一(以下:曽我部) 中学生になって洋楽を聴くのが流行っている時代に『ベストヒットUSA』とか洋楽の番組があったんですよ。それで俺も中1で洋楽を聴き始めて。時代的にはマドンナとかプリンスとかブルース・スプリングスティーン。
─ 1980年代ですね。
曽我部 うん。それで中2でパンクに出会って。というかセックス・ピストルズとかを聴いて、パンクロックが好きになってバンドを始めるという流れです。
─ ギターだったのは憧れていた人がいたんですか?
曽我部 いやいや。自然とギターだな、みたいな。で、親友がベースだったので、ベース、ギター&ヴォーカル、1個下の中1のやつがドラムで3人組でやってたんですよ。最初からトリオでした。
─ そのバンドではどんな音楽をやっていたんですか?
曽我部 パンクのコピー。バズコックスとか。中2でパンクの曲ばっかり。
─ じゃあ英語詞で?
曽我部 うん、英語詞で歌ってたかな。まだコピーですからね。
─ ギターの練習方法は?
曽我部 練習方法はないですね。ひたすら耳コピです。パンクの曲って譜面とかないし、パンクは耳コピできるからね。ピストルズ、バズコックス、ダムド、ザ・クラッシュ、シャム69…そういうのをひと通りやってた。パワーコード一つ覚えちゃえば全部弾けるんですよ(笑)。
─ 確かに(笑)。曲を作り始めたのはいつですか?
曽我部 作り始めたのは大学、大学っていうかサニーデイ・サービスを始めてからです。
─ それは何かきっかけがあったんですか?
曽我部 一応、プロミュージシャンになりたいっていう想いがあったから、自分たちのバンドを組んだらオリジナル曲でやらないとなって。中学生のパンクバンドの頃から適当なものは作っていたけど、ちゃんと歌詞がある曲はバンドを組んでからですね。
─ 当時、まだグレッチは使っていないですよね?
曽我部 当時ね、グレッチ使ってた。
─ もうその頃からグレッチだったんですか?
曽我部 1966年製のCountry Gentleman。最初に意識して買ったギターがグレッチだったから。初期はずっとグレッチ。そのあとはTelecasterです。デビューしてから1stアルバム『若者たち』(1996年)を出す頃まではずっとテレキャスですよね。今もそのテレキャスは弾いてますけど。
─ Country Gentlemanを選んだ理由は?
曽我部 ザ・ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアと、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスン。この二大巨頭への憧れです。代々木上原にあったギター屋さんで買ったんです。でも、あまりよくわからないじゃん。19〜20歳ぐらいの小僧だから。ただ、Country Gentlemanが絶対に欲しくて。当時、1960年代のCountry Gentlemanが何本も飾ってあって、そのうちの1本を買って。20数万円だったかな? それは今もレコーディングで使っていますよ。ライヴではなかなか使わないけど。
─ 初めて手にしたCountry Gentlemanはどうでしたか?
曽我部 とにかく難しかった(笑)。
─ 正直、ビギナーが買うギターじゃないですよね(笑)。
曽我部 ないない。でも、1stアルバム『若者たち』では何曲か弾いてて、Country Gentlemanの音だっていうのがあって。難しいんだけど、“あ、これでいいんだぁ”と。いわゆるレコードで聴くギターの音でグレッチが比較的少なくて、ほとんどがフェンダーだったりするんだけど、グレッチの音に耳が慣れてないのかなと思って。何か難しいなぁとすっごい苦労しました。でもすごく好きだった。今も好き。グレッチにしかない音が確実にあるから。
─ ええ。
曽我部 もちろん、今も毎回グレッチのギターをステージで使うんだけど新しい発見がある。“こういう風にしたらどうなるんだ”とか。歪ませるとすごくいいってこともあとになってわかったし、他のブランドのギターを歪ませたのとは全然違う。グレッチのほうが悪い歪みというか、もっと攻撃的で凶暴な歪みになる気がする。
─ 今回、ご自身のギターとして持ってきてくださったWhite Falconはいつ手に入れたんですか?
曽我部 これは最近です。
─ ちなみに今、グレッチのギターは何本所有していますか?
曽我部 White Falconを2本とCountry Gentlemanと合わせて3本。
─ White Falconを買ったきっかけは?
曽我部 White Falconじゃないとダメな曲があるから、もう絶対に必要なんですよ。今日持ってきたWhite Falconの前に買ったWhite Falconはネックにクラック(ヒビ)が入っちゃって、修理に出している間にその曲を弾けないのは問題だからもう1本買って。だから何本あってもいいです(笑)。
─ White Falconがどうしても必要な曲って何ですか?
曽我部 「セツナ」(2016年のアルバム『DANCE TO YOU』に収録)という曲で、曲の終わりに長いジャムがあるんです。もちろん他のギターでも弾けるんだけど、あまり雰囲気が出ないというか。アームがあって、フィードバックがあるこのWhite Falconをフルに使って。で、俺はエフェクターを使わないから、ボリュームノブを下げたりフルテンにしたりするんだけど、それをしないと自分もやった感じにならないから絶対にマスト。だからWhite Falconを使うようになったのは「セツナ」の頃だね。それ以来、White Falconは絶対に使うようになった。
─ 他のギターで「セツナ」を弾いてて、何か物足りなくて探していたらWhite Falconに巡り合った?
曽我部 ある時に俺がWhite Falconを買って「セツナ」を弾き始めたことで、その曲のソロが長くなったりジャムに発展していった感じです。
─ そのWhite Falconを買ったきっかけは何ですか?
曽我部 White Falconはいつか買おう買おうと思ってたんですよ。とにかく憧れの1本だから。で、Country GentlemanとかTennesseanとは全然違うんですよね。やっぱり一番上のギターだし、そういうものに見合う自分になれたら買おうと。ニール・ヤングも使っていたし遠藤賢司さんも使っていたし、本当に憧れの人が使っていて。ただ2人とも背が高いけど俺は低いから、まぁ似合わないだろうなと思っていたんだけど、似合うかどうかじゃなくて、持ちたいものを持つんだっていうところにいかなきゃなと。でも最初に持った時に、“曽我部くんWhite Falcon似合わないよ”って言われたりしたの。仲いい人から。テレキャスのほうがハマるし、やっぱりWhite Falconは大きいから似合うまで持たないとと思ったんだけど(笑)、似合っていると思って持っていたし、持っていたら似合ってくる。そういうもんかなと思って。White Falcon、意外にもいろんな音が出るんですよ。
─ 今使っているWhite Falconで、最近新しい発見はありましたか?
曽我部 発見というか、その時にしか出ない音が出たらいいなと思ってやっているけど、アンプにこすり付けるとすごくいいフィードバックが出るんですよ。その音も好きだし、もちろん優しい静かな音もいいんです。すごく幅が広いですね。
左:White Falcon(本人所有)
右:Falcon Hollow Body with String-Thru Bigsby and Gold Hardware
曽我部恵一
1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。70年代の日本のフォーク/ロックを90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。