KOHKI(BRAHMAN)SPECIAL INTERVIEW -前編-
7月 24, 2024
グレッチは普通のシングルコイルとはまた別のきらめき方に魅力がある
パンク/ハードコアをバックボーンに持つBRAHMANと、そのメンバーも含むアコースティックバンド、OAUのギタリスト、KOHKI。振り幅の広い両バンドの多彩な楽曲を、質実剛健なプレイで支える彼のスペシャルインタビューをお届けする。前編では、ギタリストとしてのバックグラウンドを振り返りながらグレッチギターの魅力を語る。
― まずKOHKIさんのバックグラウンドから振り返らせてください。BOØWY、THE BLUE HEARTS、LAUGHIN' NOSEからロックを聴き始めたそうですね。
KOHKI 最初に聴いたのはBOØWYでした。ライヴビデオを見て、エレキギターに興味を持って、すぐにギターを買ったんです。中2の時でしたね。通販で買ったんですけど、当時、エレキギターがすごい流行っていて、型によっては売り切れ続出なんて時代だったんです。だから、僕のギターも1ヶ月ぐらい待っても全然来なくて(笑)。
― 最初はどんな練習をしていたんですか?
KOHKI それが、エレキギターを買ったらすぐにライヴビデオで見たような音が出ると思ってたんですよ。ギュイーンって。そしたらチャリーンって(笑)。それで、あれ!?ってなって。ディストーションで歪ませるとかアンプで歪ませるとかまだわかっていなくて、最初はがっかりしたというか。そこからやっているうちに、ディストーションってあるんだ、他にもいろいろなエフェクターがあるんだって段々知っていったんですけど、最初、BOØWYは全然弾けなかったです。難しくて。
― なるほど。
KOHKI それで、THE BLUE HEARTSなら弾けそうだって、そこからTHE BLUE HEARTSとかLAUGHIN' NOSEとか、好きなバンドのコピーをしていきました。僕らの時代は、そんなふうにロックから入るのが当たり前というか、ジャズから入る子はほとんどいなかった。今はYouTubeもあるしサブスクもあるし、いろいろ見られるし聴けるからそういう選択肢もあると思うんですけど。
― その時には“ギターって楽しい”ってなっていたわけですね?
KOHKI もちろん。だから、パンクって入口としてめっちゃいいですよね。なんか弾けそうな気がするじゃないですか。ロックとして、あんなにカッコいいのに。そのあとBOØWYも弾けるようになったんですけど、それがなかったら、たぶん挫折していましたね。いきなりBOØWYからやれとか、メタルからやれって言われてたら“無理だわ”ってなってたと思います(笑)。
― そのあとはどんな音楽を聴いてきましたか? きっとどんどん幅も広がっていったんじゃないかと思うのですが。
KOHKI そうですね。高校に入った時がちょうど時代的にグランジとかミクスチャーが盛り上がり始めた頃で。だからニルヴァーナ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとか。それと同時に、僕は地元が和歌山なんですけど、なぜかロカビリーが流行っていて。先輩とか仲間が聴いていたから、僕も周りから影響を受けてロカビリーを聴きました。ストレイ・キャッツをはじめ、そこから50’sに遡って、ジーン・ヴィンセントとかエディ・コクランとかバディ・ホリーとか。そういうのもコピーしていました。
― なるほど。そこから、カントリーやブルースにも遡っていたわけですね。
KOHKI そうです。それと並行してレッチリも聴いてたしBOØWYも聴いてたし、ごちゃ混ぜでしたね。僕の場合、“自分は何派だから”っていうのはなかったんですよ。例えば、ロカビリー聞いてるからロカビリーシーンの、パンク聞いてるからパンクシーンの構成員になるみたいな。逆にそれは良かったかな。
― その中でKOHKIさんに大きな影響を与えたギタリストはいますか?
KOHKI 中学生の時は、やっぱり布袋(寅泰)さんとLAUGHIN' NOSEのNAOKIさん。NAOKIさんはいまSAをやってますけど、その2人ですね。高校生になってからは、やっぱりブライアン・セッツァーとかジョン・フルシアンテとか。
― じゃあ、高校生の頃にはグレッチギターの存在はすでに知っていた?
KOHKI もちろん。ただ、高嶺の花だから当然買えなかったけど、先輩の中には持っている人が何人かいて、触らせてもらったことはありましたね。
― 高嶺の花とおっしゃいましたが、当時、グレッチにはどんなイメージを持っていましたか?
KOHKI ロカビリーとかカントリーとか、そういう世界ではグレッチを持つのがステータスという印象はありました。だから単純に憧れてはいましたけど、さっきも言ったように僕はロカビリーシーンの構成員ではなかったから、そこまでグレッチを手に入れなきゃという感じではなかった。もちろんグレッチに憧れはあったけど、他にも好きなギターがあるってタイプだったんですよ。
― 今はWhite Falconを使っていらっしゃいますね?
KOHKI 年上の知人がWhite Falcon を衝動買いしたんですよ。でもその人、ギターやらないんです(笑)。“KOHKI使ってくれよ。どれだけいじってもいいから”って言われて、ビグスビーを自分で載せてピックアップも換えて。それから使い出して、もう6〜7年になりますね。
― レコーディングでも使っていらっしゃいますが、いかがですか?
KOHKI 単純にカッコいいですよね。あと、ハムバッカーのギターとハイゲインのアンプっていう普段の自分のセッティングにそのまま突っ込んでも、全然使えます。何の違和感もないし、ハウったりもしないし、意外にオールマイティなところがあるのかな。
― 使い方次第なんでしょうか?
KOHKI もっとゴリゴリにアンプでゲインを稼いで、ザクザクするような人は難しいかも知れないけど、僕はそこまでじゃないんで、それもあるかもしれないですね。ブライアン・セッツァーのシグネイチャーのピックアップに換えたんですけど、それがすごくいいです。
― BRAHMANではどんな場面でWhite Falconを使うんですか?
KOHKI 速い曲よりもミドルテンポの曲に合う気がしますね。クランチ気味で、アルペジオだったり指で弾いたり。逆にパワーコードでという感じではない気がします。もちろん、そういう使い方もありだとは思うんですけどね。クランチで弾いても音が潰れないから音色がキラキラしているというか、普通のシングルコイルとはまた別のきらめき方に魅力があると思います。
― ここからは試奏していただいたG6131T-62 Vintage Select ’62 Jet™ with Bigsby®(以下:G6131T-62)のインプレッションを聞かせていただきたいと思うのですが、まずG6131T-62を選んだのはどんな理由からだったのでしょうか?
KOHKI 20年くらい前にダブルカッタウェイのSilver Jetを持ってたんですよ。それは売っちゃったんですけど、けっこう感触が良かったのと、White Falconがあるのでそれとは違うタイプがいいなと思ってG6131T-62にしました。ボディが小さいぶん、もうちょっと歪みの曲に対応できるんじゃないかって。このギターのほうがWhite Falconよりも万能という気がします。BRAHMANがやっている音楽に対しては。やっぱり、ボディが小さいギターのほうが速い曲に向いている気がするんですよね。
― それは弾きやすさの話ですか?
KOHKI 音の広がり方なのかな。俺の勝手な印象なんですけどね。
― 実際にG6131T-62を鳴らしてみていかがでしたか?
KOHKI ビグスビーの柔らかさが絶妙ですよね。White Falconとまた全然違うんですよ。チューニングも狂いづらいと言うか、安定していますね。ビグスビーってけっこうチューニングが安定しづらいんですけど、これは全然大丈夫ですね。
― どんな場面で使えそうですか?
KOHKI 曲を選ばず、どんな場面でもいけると思います。クリーンも歪みもクランチも。だから、普通にBRAHMANでやっているような曲でも、ライヴの全編で使うことができますよ。今、メインで使っているギターと組み合わせるなら、こっちはクランチ寄りの音で使うかな。あとはアルペジオが多い曲とか。
― そこはチェンバードボディだけに。ボディの中に空間があるぶん、ソリッドよりも響きが得られるので、少し太めで甘めの音になるのがG6131T-62の特徴の一つです。ルックスはいかがですか?
KOHKI いいと思います。これまで赤いギターは持っていなかったから、俺としては新鮮なんですよ。
― そうですね。赤はちょっと意外でした。
KOHKI ははは。一番、縁遠い色かもしれない。Tシャツも赤は一枚も持っていないですからね(笑)。
左:G6131T-62 Vintage Select ’62 Jet™ with Bigsby®, TV Jones®, Vintage Firebird Red
右:White Falcon(本人私物)
KOHKI(BRAHMAN、OAU)
95年、東京にてBRAHMAN結成。96年に「grope our way」をリリース。97年にKOHKIが加入し、翌年にリリースした1stアルバム『A MAN OF THE WORLD』は異例のセールスを記録。以降、パンクムーブメントを牽引する。2005年にはアコースティックバンドOAU(OVERGROUND ACOUSITC UNDERGROUND)を結成し、BRAHMANと並行して活動を続けている。2024年11月4日(月・振休) 横浜BUNTAIにてワンマンライヴ〈六梵全書 Six full albums of all songs〉を開催。