エディ・コクラン

もし、エディ・コクランが21歳でその歴史を閉じることがなかったら、どんな音楽を創造していたでしょうか。

あまりにも短いキャリアの中で、ロックとロカビリーという2つの音楽に残した忘れがたい彼の足跡は、才能あるパイオニアとして尊敬されていることを示していると言えるでしょう。ギタリストとしてのエディは、力強く繊細で、エネルギーに満ち溢れたプレイヤーでした。彼の永遠のイメージは、魅力的なその笑顔と、堂々とした姿勢、そして共に歩んできたGretsch® 6120ギターを持った、ハンサムな若者です。ソングライターとしての彼は、50曲以上を共作し、ティーンエイジャーの経験を完璧に、そして詩的に表現した、不朽の名曲をレコーディングしています。「C'mon Everybody」、「Twenty Flight Rock」、「Something Else」、「Sittin' In the Balcony」そして彼の最大のヒット曲となった「Summertime Blues」など、素晴らしい曲を生み出しています。

60年春に行ったイギリスツアーの後、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセント、そしてソングライターのシャロン・シーリー(コクランの婚約者)、ツアーマネージャーのパット・トンプキンスが、ロンドンのヒースロー空港に向かうために借りたフォード・コンスルに乗り込み、アメリカに戻ろうとした時に悲劇が起こってしまったのです。午後11時50分頃、ジョージ・マーティンが運転する車は、英国イングランド南西部チッペナムのロウデンヒルのカーブでタイヤが外れてしまい、コントロールを失ったまま街灯にぶつかり、ジーン、シャロン、エディの3人は車から投げ出されてしまったのです。マジョージとパットは比較的無事でしたが、ジーン、シャロン、エディは重傷を負ってしまったのです。3人はSt.マーティン病院に運ばれましたが、当時21際だったエディは、翌日の午後4時10分に帰らぬ人となりました。僅か3ヵ月前の60年1月に発売された「hree Steps to Heaven」が、彼の最後のシングルとなってしまったのです。

永遠のアイコンとなったエディ・コクランは、後世のロックミュージシャンたちに大きな影響を与え続けています。Led Zeppelinや、Sex Pistolsといった全く正反対のアーティストたちにカバーされたのは、彼の曲が10代の喜びと苦しみの両方を的確しているからでしょうし、ジェフ・ベックやジミー・ペイジ、ピート・タウンゼントといった偉大なミュージシャンたちが、彼を手本にしていたことも明らかでしょう。57年6月6日、イギリスのリバプールにあるセントピーターズチャーチホールで、14歳だったポール・マッカートニーが、16歳のジョン・レノンと出会い「Twenty Flight Rock」を演奏した時、ポールがすべての歌詞を知っていたことに感銘を受けたことがきっかけで、Quarrymen(後のビートルズ)のメンバーになったことは、その際たるものでしょう。


知っていましたか?

53年、エディの両親はカリフォルニア州ベルガーデンズに移り住み、エディはますますギター演奏に没頭しました。そして、55年1月、16歳だった彼はプロのミュージシャンになるために高校を中退したのです。この年に、彼が最も愛着を持っていたギター、Gretsch 6120 Chet Atkins hollow-bodyを手に入れたのです。このギターは、両親からの援助を受けて、ベルガーデンズミュージックセンターで購入した新品(シリアル番号16942)でした。彼は、サウンドにとてもこだわりを持っており、購入してすぐにフロントのDeArmond DynaSonic™ピックアップを、より温かみのあるをGibson® P-90に交換しています。